2016年6月25日土曜日

春の比較、雪国の春より

「立春の頃」
風景は画巻や額のようにいつでも同じ顔はしておらぬ。まず第一に時代が
これを変化させる。我々の一生涯でも行き合わせた季節、雨雪の彩色は
勿論として、空に動く雲の量、風の方向などはことごとくその姿を左右する。
事によるとこれに面した旅人の心持、例えば、昨晩の眠りと夢、胃腸の加減まで
が美しさに影響するかも知れぬ。つまりは個々の瞬間の遭遇であって、
それだからまた生活と交渉することの濃やかなのである。
いかにも狭い主観の、断独的個人的の記述であることは、既に心づいた
者が多いのであるが、名ある古人を思慕することが、無名の山川を愛する
情より勝っている国柄では、風景の遇不遇ということに大きな意味を持つ。
水陸大小の交通路はもとより、絵葉書も案内記も心を含ませて、今古若干の
文人足跡ばかりを追従させ、わけもない風景の流行を作ってしまった。

しかし、時は人、そして猫も待たずして、そろそろ立春と呼ばれる季節へと
進んでいる。我が家の庭の梅の木には、小さな大豆のようなピンクの蕾
がひしめき合あい始めている。
少し前に手を入れた夫々の木々は、夫々の想いと姿で、春の匂いを嗅ごうと
している。春の仄かな香りがヒタヒタと近づいているのだ。
まだ、比良の山並には、白い雪が、頑固に張り付いているが、立ち込める
霞が春になったんだよ!言わんばかりに、白いベールの世界を造っている。
比良山が霞んで遠景の隠れる点では、あるいは秋の中ごろに劣るという人も
あろうが、その代わりには山麓の下を覆いつくす若い木々の緑がある。
黒木に映ずる柔らかな若葉の色が見え始める。全体にこの地の人々は、
まだ山の花を愛する慣習がないのか、あれだけの樹林と広がる家々と比べても
見渡したところ天然の彩色が少し寂しい。これから咲くさくらなどもかって
山修行が最も盛んな時代に植えておいたらしい数株の老木があるのみである。
山の斜面はほぼ正東に向いている。そこから直線的に琵琶湖に落ちていく山並
が、登るにつれて少しづつその色を変え琵琶湖の光を受けて光ってくる。
それが半腹を過ぎるとほとんど全部、寒風の峰を覆うように見えるのである
が、蓬莱山や武奈岳の姿やはりこのあたりから見るのが良いようである。
細やかに観察したならば、美しいと言うともいうべきものが分かるであろう。
山の傾斜と直立する常緑木との角度、これに対する展望者の位置等が
あたかもころあいになっているのではなかろうか。

「まだ少し冬が残る頃」
既に2月も終わりである。季節は雨水から春分へと移りつつある。
まだ寒い日もあるが、少しづつ暖かさの断片が周りを覆うような日も
増えてきた。
灰色の空を後景にして、これも灰色の比良山が幾筋かの雪影を合わせて
佇んでいる。モノクロ一色の世界に少し赤みが差し始める。天空を
覆いつくしている雲をこじ開けるが如く僅かな朝陽がその峰を照らす。
しかし、それも一瞬の事とて、またもとの静寂の白と黒の世界にもどる。
その静寂を破るように、それは四十雀であろうか、その尾を小刻みに
震えさせながらまだ硬く寒さにこらえている梅の芽のうえを飛んでいく。
この庭から見る比良は毎日、その顔を変える。昨日は薄青いカーテン
が引かれた様な空を背景に、斑模様の雪がへばりついた顔を見せていた。
その下を一筋の薄き羽衣のような雲がゆっくりと湖の方へ流れて行く。
よくみれば、その下には真綿のような雲の塊りが黒い木々に変わり、
全体を覆い隠していた。
今日は雨になるのであろう。幾筋かの雨足が見えるが、それは地面に
着く前に消えるが如く弱いものである。すこし温かみを含んだ弱い風が
頬を撫ぜながら左から右へと流れている。
春の予感はそこからは感じられない。

「春の兆しが足元まで来ている」
長く白い砂地が左から右へと大きな湾曲を描きながら延びている。
湾曲に沿ってまばらではあるが松林も続いていた。沖にはえり漁の仕掛け棒が
水面から何十本となく突き出し、自然の中のくびきでもしているようだ。
私のいる砂浜に向かってゆっくりとした波長をもってさざなみが寄せていた。
春は浪さえも緩やかにさせるのであろうか、冬に見たときのそれとは大きく違う。
私の10メートルほど先には、数10羽の鳥たちが青白い空とややくすんだ
色合いの青を持つ湖面の間に浮かんでいる。あるものはえり漁の仕掛け棒の上で
羽を休め、何羽かの鳥たちは遊び興じているようでもある。2羽のコガモが
連れ立って水面をゆっくりと進んでいる。やがて彼らもここを離れ、次の住まいへと
向かうのであろう。春は出発と別れのときでもある。
遠く沖島と少し黒く霞んだ山並を背景にして数艘の釣り船が浪に揺られ、釣り人が
その上で釣り糸を垂れている。そのモノトーンのような光景を見ながら、私は、
春がその辺に来ている事を感じた。
砂浜の切れるところに港がある。港には朝の漁を終えたのであろうかノンビリと
とした風情で浮かんでいる。時折かもめが船の舳先を飛び、また離れて行った。
古来よりこの地域は魚を取る事を生業とした和邇氏と呼ばれる部族が住んでいた。
このため、ここから北へ向けても幾つかの漁港がある。多分、古代人が見た風景も
私が見ているこの春に手をかけたような風景も同じであったのであろう。

「春が姿を現し始めた」
朝から茜色の朝陽が小さな雲と一緒に見えていた。
比良の山は白い雪帽子が頂上の稜線と空の間に残っているが、少し前の黒々とした
木々のまといとは違う姿を見せている。薄ぼんやりと薄いベールを被ったような
山並がこれもやや薄れた蒼さの見える空とそれを取り巻く春の陽光の中に悄然と
立っている。今年初めて見せるその姿は、それだけで春の訪れを告げている様
でもある。
少し視線をずらせば、いつも見えるはずの湖の蒼さも対岸にある山並もその
ベールの中に消えている。存在するはずのものがそこに見えないと言う感触は、
自分の存在さえ否定されているようでなにか不思議な思いに駆られた。
しかし、この身体にまとわりつく心地よき温かさと柔らかな日差しは間違いなく
春が我が身にもにじり寄ってきている事を感じさせ、家の前を行きかうお年寄り
の顔にも冬の間見られた固く黒ずんだ陰りが柔らかく赤みを帯びたそれに変って
いた。皆が新しい光の中で、生きていた。
この街は風の街でもある。
特に春の訪れとともに、「比良おろし、比良八荒」が吹き荒れる。
比良山地南東側の急斜面を駆け降りるように吹く北西の風である。
強い比良おろしが吹くときには、比良山地の尾根の上に風枕という雲が見られる。
その風に合わすかのように「比良八講(ひらはっこう)」という法要が行われる。
周辺の琵琶湖で僧りょや修験者らが、比良山系から取水した「法水」を湖面に注ぎ、
物故者の供養や湖上安全を祈願するのだ。


山が霞んで遠景の隠れる点では、あるいは秋の中ごろに劣るという人もあろうが、
その代わりには峰の桜がある。黒木に映ずる柔らかな若葉の色がある。
全体にこの地の人々は、まだ山の花を愛する慣習がないとみえて、あれだけの
樹林と村居と比べては、見渡したところ天然の彩色が少し寂しいと思った。
今あるさくらなどもかって山詣での最も盛んな時代に、植えておいたらしい
数株の老木のみである。、、、、、、
山の斜面はほぼ正東に向いている。最初は前に立つ寒風山に隔てられて、
ただ想像するだけの八郎潟が、登るにつれて少しづつその両肩の上に光ってくる。
それが半腹を過ぎるとほとんど全部、寒風の峰を覆うように見えるのであるが、
その見晴らしの最も優れた地点で路を曲げ、曲がり角にはチャント桜があるのは、
疑うところもなく心あっての設けであった。以前この辺まで一帯の林であった
ころには、かんらず、木の花の陰に息を入れて振りかえってはじめて三方の海を
眺めた事と思う。
本山の若葉山の姿やはりこのあたりから見るのが良いように思った。
細やかに観察したならば、美しい理由と言うともいうべきものが分かるであろう。
山の傾斜と直立する常盤木との角度、これに対する展望者の位置等が、
あたかもころあいになっているのではないか。画を描く人たちに考えて
もらいたいと思った。
その上に昔もこの通りであったととも言われぬが明るい新樹の緑色に混じった
杉の樹の数と高さが、わざわざ人が計画したもののように好く調和している。
自分などの信仰では、山の自然に任せておけば、永くこの状態は保ちえられると
思っている。北海の水蒸気はいつでも春の常盤木を紺青ににし、これを取り囲む
色々の雑木に、花なき寂しさを補わしめるような複雑な光の濃淡を
与えるであろう。そうすれば、旅人は、単によきときに遅れることなく、
静かに昔の山桜の陰に立って、鑑賞しておりさえすればよいのであって、
自然の画巻きは季節がこれを広げて見せてくれるようになっているのだ。