2016年9月8日木曜日

北国海道支道

栗原の水分神社を出発する参加者地図
途中で岩神神社ホコラを見る一行
[交通メモ] JR和邇駅からバスで栗原へ。歩いて八屋戸まで約5キロ。
 北国海道は、その名の通り北国への道。湖北を通る北国街道(東近江路)と区別され、古代・中世の北陸道(西近江路)を通る道を北国海道と呼ばれてきた。志賀町和邇今宿を過ぎて高城への道の常夜灯のそばにある道標などにも「北国海道」と刻まれている。
 この道は、平安時代に入ると平安京と北国をつなぐ最短距離の道、京道として脚光を浴びるようになる。志賀町の山手を通る、この「京道」は志賀町史にも全く記述はなかったが、昨年秋、志賀町歴史・科学研究会(昭和62年設立、代表・中西昭氏、会員43人)が、この古道を独自に調査し、その結果を11月の町文化祭で発表。同5日には一般人も一緒に現地散策に加わり、志賀町内の京道(北国海道支道)の存在を確認し合った。
 調査を行った吉田敏孝・志賀町文化財専門委員(県文化財保護指導員)によると、この道は志賀町八屋戸から山手に向かい、湖西道路をくぐって岩神神社のホコラ近くから栗原の妙道会を通り、比叡霊園地を経て伊香立の龍華道へ抜ける。裏付け史料としては、栗原に伝わる民話「龍華夫人・八畳岩」や、比叡山天台密教の寺院由来歴などをあげ「いずれも、この道を通らなければ行けない場所にある」と検証している。
 昨年11月5日に行われた「古道・志賀の京道を歩く会」には、文化祭での発表を見て集まった一般の人と研究会員ら約30人が参加。室町時代に建立された水分みくまり神社前を出発、底なしと言われたナリカマの穴の残存を確認したり、源為朝が京より逃れて馬を止め、一夜を過ごしたと言われる岩神神社の小さなホコラを見たりして、コースの探索を終えた。(2001年1月号掲載)

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