二十四節気「秋分(しゅうぶん)」となった。 光り輝くような月、冴えわたる虫の声、夜が楽しみな季節でもある。 ・雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)9月23日頃 雷が鳴らなくなる頃。春分に始まり夏の間鳴り響いた雷も、鳴りをひそめるという。 彼岸花が赤く群れ咲き、松茸があのかぐわしい香りを漂わせる。 ・蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)9月28日頃 虫たちが土にもぐり、入口の戸をふさぐ頃。冬ごもりの支度をする時期となる。 紫苑の紫の花びらが高くのびのびと咲き誇り、里芋が美味しい。 葦場が茶色に色づきその原を風に揺らしている。なお紫苑しおんは中秋の名月頃に 良く咲き、別名、十五夜草ともいわれる。 ・水始涸(みずはじめてかるる)10月3日頃 田んぼの水を抜き、稲刈りが始まる頃、井戸の水が枯れ始める頃との説もあるが。 金木犀、銀杏の香りが強烈な濃さとなって周辺を覆う。 八幡の山からのぼった月はその光を弱め、丸い球体の端が欠け始めている。蒼き 空に深く浮いていた日も、比良の山並みに吸い込まれるのがずい分早くなった。 月光は山麓を白く貫いている道を浮き立たせこの内湖の水面をを海のように 照らしている。更に、その光りはいまは人の腰まで伸びた稲穂の一つ一つにその影 を落とし、暗闇の先まで続く松林を青白く光らせ、やがて湖の湖面まで届いていた。 その稲穂の中に悄然と立つ福田寺の本堂が湖を見守るかのように周囲からひときわ 高く傘を広げたような甍が光って見えた。 残暑が和らぎ、稲穂も黄金色に色づけば、それはお月見の合図であろうか。 気が付けば、蒼く澄んだ空に黄色と朱色の色帯びた幾多の鱗雲が足早に三上山の 先へと流れ消えつつあった。それを追うかのようにまだ残る赤白い光の中に 月がその姿を見せ始めていた。 今年は9月17日が満月であった。 月は信仰の対象でもあったので、お供え物 をして収穫の感謝をする。特に芋類の収穫に感謝するという意味合いから「芋名月」 とも呼ばれ、里芋料理や満月に見立てた月見団子を、窓辺や縁側の月の見えるところ にお供えした。十五夜と十三夜の両日を祝うのは平安から伝わる風習で、旬の食べ物 を供えることから、十五夜は「芋名月」、十三夜は「栗名月」と呼ばれる。 いわゆる「十五夜」は一年で最も美しい月が見られるとされており、旧暦では 8月は一年の中で最も空が澄みわたり、月が明るく美しく見えた。そのため 「中秋の名月」と呼ばれ、平安時代から観月の宴も開催されていた。 鰯雲はなやぐ月のあたりかな 高野素十 秋の田の穂の上に置ける白露の 消ぬべくも吾は思ほゆるかも 詠み人知らず 蓬莱の山頂から見れば、目の下には、白く続く砂浜とその砂浜を守るような姿勢で 何百の松が数列になってこれも長く長く続いて、暗闇の中に消えていく。 少し先に黒く重く小さなざわめきを発しながら、比良の山々がこれもどこまでも 続いている。湖と山々の間には、何十という光りが紅く時には橙色に輝き、 点在しているのが見え、時折、白い線がそれらの間を流れて行く。ふと 思った。古き昔、これら眼下に広がる世界には、光りはなく、漆黒の世界が支配 していたのだろう。周囲を見渡せば、空にうがつ星たちは、何者にも邪魔されず、 伸び伸びとした光りを発しているが、先ほどの砂浜からではその光りは弱く縮み 頼りない力しか見せていない。 月明かりに映える比良の山並はトカゲの背びれの様に北へと伸び、尾根伝いの細い道 は黒々とした木々の間を走り抜けていく。更には、トカゲの横腹のような山麓が 湖との間にある平地まで降りて、わずかばかりの田畑を人間に分け与えている風に 見える。横腹からは、幾筋もの水の流れが湖に向かって月の光りを反射しながら 伸びて行き、3つほどある三角に突出した浜辺には、白く輝くさざなみが押し 寄せては消え、また新しい波を見せている。黒い水面に灯火をつけた舟が数艘、 わずかな揺れを見せながら漂っている。その揺れに合わすかのように右手を見れば、 黄色と赤の帯が間断なく湖を渡って、ゆるやかな弧を描きながら対岸の林や建物に 消えて行く。その細く赤い帯は、昼間見た曼珠沙華のつづれを思い起こさせた。 つづら折りにのびる山道の両側を赤く染め、スギ林の向こうに消えていた。 足元のその花は、紅く細い花びらを幾重にも白い茎から四方へと伸ばし、夕日の 中で、その色を一段と強めている。草原で塊となって咲いている曼珠沙華の 力強さとは違い、数本が細い筋となって赤茶けた山道を縫うように伸びていく様には、 可憐さが似合っていた。 「瓔珞品ようらくぽん」という大正の時代の作家が書いた本には、この琵琶湖の 特に満月の中の情景の素晴らしさが描かれていた。 琵琶湖の夜の美しさに魅了された主人公が何度となく琵琶湖を訪れて、 天人石を探したり、夢の中で鮒になったり、無限の世界を体感する話のだ。 「水を切る船端の波の走るのが、銀を落とすと、白い瑠璃の階きざはしが、 星を鏤めてきらきらと月の下へ揺れかかって、神女の、月宮殿に朝する 姿がありありと拝まれると申します。」とか、 「霜のように輝いて、自分の影の映るのが、あたらしいほど甲板。湖水はただ 渺茫として、水や空、南無竹生島は墨絵のよう。御堂の棟と思い当たり、影が差し、 月が染みて、羽衣のひだをみるような、、、」と夜の湖水を表現している。 これ日本語の極めだね、と思う自分がいる。今、坂の上から見るその光景も 月に映える湖面からその光を少しづつ弱め、濃淡の帯となり、しじまを作り ながらやがて黒い湖面に同化していく、それが一枚の画枠のごとく眼前にあった。 更には、松尾芭蕉と言う人が短い文で、このあたりの情景を詠ったいるのが 今の雰囲気に合うな、と独り言。月夜におかしくなるのは、ドラキュラや 狼人間だけではないようだ。もっとも、秋分以外の詩もあるが。 「鎖(じょう)明けて月さしいれよ浮御堂(堅田)」 「やすやすと出でていざよう月の雲(堅田)」 「病雁の夜寒(よさむ)に落ちて旅寝かな(堅田本福寺)」 「比良三上雪さしわたせ鷺(さぎ)の橋(本堅田浮御堂)」 「海晴れて比叡(ひえ)降り残す五月かな(新唐崎公園)」
大津の北に位置する旧志賀町は、楽浪(さざなみ)の里とも呼ばれ、真近いに比良山系を仰ぎ、琵琶湖の蒼き面に静けさを感じる里です。農事からの七十二候をその季節に応じて感じることで、この里の素晴らしさを味わってほしいものです。
2016年9月28日水曜日
秋分の夜
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